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元禄に花開いた伊丹の文化
  江戸時代、伊丹では和歌や俳諧や連歌などの伊丹文化が花開きました。
酒造業で潤った造り酒屋の旦那衆が、京や大坂から一流の師匠を呼び寄せ文芸を はじめ、 お茶、お花、蹴鞠など遊芸に携わったためです。
文人墨客の往来も盛んに なりました。
伊丹の風雅は俳諧で始まった
  なかでも流行したのは俳諧です。 京からやってきた池田宋旦が開いた俳句サロン 「也雲軒(やうんけん)」には全国全国各地から俳人たちがぞくぞくと集まりました。
  上島鬼貫は25歳にして「ありのままの心を尊ぶ」という独自の思想を作り上げ、 地元が生んだ若手俳人のホープでした。 井原西鶴も、この也雲軒にしばしば出入りし、 伊丹の酒屋の父子をモデルにした「津の国の隠れ里」という一文を残しています。
幕末にかけては漢学者の頼山陽が伊丹の酒に魅せられ、何度も伊丹を訪れました。
  「みやのまえ文化の郷」にある「柿衛文庫」には、そうした文人たちの作品が収蔵され、近代に至る俳諧俳句の歴史を見ることができます。
伊丹の郷「丹醸」
  伊丹における酒の歴史は、慶長5年(1600年)伊丹北郷鴻池村の山中新六幸元が清酒
の醸造に成功したことに端を発します。
  出雲尼子の武将山中鹿介の長男幸介は、伯父を頼って伊丹で酒を作り始めました。
当時は酒といえば白米と玄米の糀で作られ、濁酒でした。
ところが、あるとき不埒者が酒蔵に侵入し、酒を台無しにしようと、樽に灰を投げ入れたのです。
すると、翌日になると、樽の中の酒は濁りが取れて澄んだ酒になったというのです。
  また、酒の材料にもこだわっ幸元は、糀にも白米を使用し、さらに旨い酒を生み出して
いき、その醸造法は「諸白(もろはく)仕込み」と呼ばれました。
伊丹の地で醸された諸白は「丹醸」の名で全国津々浦々に知れ渡り、やがて将軍家の御膳酒にも使われました。
  元禄期には伊丹郷町を中心とする一帯は、江戸に出荷する酒の銘醸地として発展しました。
最盛期、摂泉12郷から江戸に運んだ清酒は89万樽にのぼり、その3割以上を伊丹の酒が占めていたといわれます。
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